ミッションステートメント その3

Mission statement 3
ミッションステートメント その3

前回よりも力を充実させて牡鹿半島へ赴き、日本財団・ヒューマンシールド・oshika漁協の人たちと力を合わせ、あちこちにちらばった漁具を回収し、海岸線沿いとそれぞれの港のがれきを撤去すること。

The effort:
活動内容

午後11時ごろに車5台という体制で京都を出発し、チーム・サケと共に北を目指し、仙台市郊外へと移動しました。その夜眠れた人はいなかったと思います。特にドライバーは絶対眠れなかったと思います。チーム・サケの車に乗っていたうちの2人が私たちのグループに加わり、その後更に北を目指しているチーム・サケの2台の車に別れを告げ、私たちは石巻市を抜けて牡鹿半島に向かい、そこから直接、小渕浜の町へ行きました。 そこはもとは180軒の町だったのに、今は30軒しか残っていません。私たちは午後の早い時刻に到着したので、テントをはる前にさっと道具を下ろして、牡蠣の加工施設のがれき撤去を始めました。その施設は港に面していて大きな打撃を受けていました私たちは、全くの手作業で機材や装置を掘り起こしたり泥やがれきを運び出したりしながら、どうやらこうやら奥まったところにある2つの部屋のほとんどをきれいにしました。それと同時に、石巻市内で働いていた大工仲間の友達がきてくれて、Sさんのためにバスルームを完成することで話が一致しました。Sさんは、私たちが前に来たときに置いていった道具や釘を使って、ガレージを広くしていました。その夜、私たちはささやかな装備を組み立てて、男子は駐車場の隅で、女子はかなり不気味が森に少し入ったところに寝ることになりました。
月曜の朝、私たちは前日の施設にもう一度行き、半分やり残していた仕事にかかりました。 作業中の人たちの粘り強さには、驚くばかりでした。その日の遅くにチーム・サケのメンバーが4人加わり、さらにもっと遅くなってから、千葉県の学生のグループが加わりました。私たちはその牡蠣処理工場の二階部分の大半を含めて、昼下がりまでに完全にその建物全体の撤去作業を終えました。そのあと、私たちはクレーン車が排水暗渠から車をつり上げている所へ移動し、がらくたでいっぱいになっていた暗渠を清掃し、暗渠・ばらばらになった木材や金属・がれきなどと隣り合わせに建っている家のひとつに行き、その庭をきれいにしました。
ベース・キャンプに戻ると、テントのうちの1つが風で完全に吹き飛ばされてしまって、あさってのyほうこうに行ってしまっていました。前夜から吹いていた強風のせいで、私たちはテントを移動して、木々がうねうねと曲がりくねりながら生えている、まるで、映画のBlaire Witch Projectの魔女の森みたいなところに、テントを移動しなければならなくなりました。 また、私たちはケイスケさんという、ボランティアのトラック運転手で、私たちのキャンプがあるのと同じ駐車場の車の中で寝泊まりしている人と友達になりました。
その夜、みんな早々にぐっすり眠ってしまったと思います!

火曜日の朝、私たちは前に石巻で一緒に作業をしたことのある、Morgan Stanley 4と合流し、私たちの本命の仕事である、大災害のときにあちこちに散逸したり、地中に埋もれたりしているブイやそのほかの漁具を回収し、牡蠣養殖用のイカダを集めたりする仕事にとりかかりました。正午までに、私たちは湾北部の埠頭のがれき撤去をほぼ終えていました。これで、装備を整えてさえいれば、他の人にも埠頭の周りや海中に蓄積した重いがれき類を取り除く作業を始めることが出来ます。  午後は、2手に別れて、一方は、埠頭で作業をし、他方は周辺の家屋の中にいくつかブロック塀の崩れかけた物があったのでそれを取り壊して撤去する作業を行いました。午後の時刻が進むにつれ、満ち潮のために埠頭での作業ができなくなったので、もう一度合流して、もう一軒家の周りのがれきを撤去し、崩れかけた家に住んでいる一家族が1〜2週間は使えるくらいの薪を集めたりしました。その夜、私たちは、ケイスケさんと一緒にツナ入りマカロニとポテトシチューの夕食を囲みました。ケイスケさんが、半ダースの缶ビールを差し入れてくれたので、みんなでそれを飲んでぐっすり眠れそうな良い気分になりました。

水曜日の朝は、どこで作業をするように言われるかで混乱が少しあったものの、完全に破壊されてしまっている湾の南側に行き、埠頭からがれきを撤去をする作業を始め、まだ使える道具、材木、金属、コンクリート、舗装の網や綱、がらくた、などを分別して、リサイクルに回すもの、燃やすものなのど山に積んでゆきました。あるグループは、この地域にごちゃごちゃと張り巡らされている、深い暗渠や、排水溝を手作業で掘り起こすという作業を与えられていました。私たちはその仲間に入りました。そのグループは、バス1台分くらいの大所帯で、その中には、神戸の高校生たち、埼玉の造園家たち、奈良から単独でやってきたバックホーという切削機を持ってやってきた人が含まれていました。 その日は気温が高かったので、かなりの水の中にも入りました。その日、私たちは、かなり多くの作業をなんとかこなすことができました。北へ行っていたつよしさんのチームと、チーム・サケからの4人が私たちと合流しました。

その夜、金曜日に京都で仕事のある4人が、神戸に帰って行く人たちのバスに相乗りさせてもらって帰って行きました。(うじ先生、ありがとうございました!)

このおかげで、私たちは、丸々もう一日被災地に残ることができました。翌日、私たちは排水路の掘り起こし作業を続け、地盤の下がっている箇所に砂利や泥を敷いたり、人が落ちて怪我をするといけないので、辺り一帯の排水路のコンクリートのフタを捜索するためのチームを送り出したりしました。午後遅くなってから、私たちは数人の地域の人埼玉の園芸グループのバックホー運転手、先に出会った奈良のバックホー運転手と一緒に、湾の中に浮かんでいるがれきや木の撤去作業をしました。さらに、最後に、地元の人が最後まで終わらなくても良いからと言ってリクエストしてくれた、湾の一番端っこ部分の排水溝の清掃作業に取りかかり、私たち6人と、チーム・吉村さんと、奈良からやってきたバックホー運転手の人全員で、何かに憑かれたように溝掘り作業に取りかかりました。
ものすごいがんばりと、気合いで、私たちは30メートルの排水溝をきれいにしました。それから、出会った人に別れをつげて(泣きそうになりました。)、暗い中キャンプに戻って、テントをかたづけました。

私たちは、ほとんど一晩中車を走らせて、翌日の午前中に京都に着き、車の中を空にし、それぞれの荷物を持って、金曜の正午をすこし過ぎた頃に、帰宅しました。
今回の旅で、私たちが寄付したのは、水8箱分、1ダースのデッキブラシ、金槌、巻き尺、のこぎり、大小のナイフ、そして、いわずもがなの、京都のお酒を23本で、これは小渕浜の人たちに贈りました。
また、私たちのチームの1人が生後6ヶ月の赤ちゃんにそっとベビー服をあげたらしく、翌朝早くにその服のいくつか着て明るく、わざわざありがとうを言いに来てくれたりということもありました。

Impressions:
 感じたこと。
個人的な取り組みの中で、私自身、ある種の思想というか、ポリシーのようなものが出来てきて、それが、だんだんと確信になりつつあります。それは、外部から支援をしに行く際、依存関係を作ってはならない、そうではなくて、復興へ向けた努力をしている人たちをあくまでも補助的にアシストすることが大事だということです。前回行ったときに、私たちが帰ってしまった後でも、復興作業が始められるように、被災地の人たちに道具を配ってきました。そして今回もう一度そこへ行ったときに、私たちが提供した道具を使って、がれきの中から材料を集めて、家一軒建てた人がいました。また、ある人は、今は自宅となってしまった車庫に台所を増築し、お風呂を作り始めていました。そこへ上手い具合に、こくりゅうさんが亀岡から来あわせていて、その家に、薪をくべて沸かす方式の湯船(スクラップから作った)を取りつけるのを手伝ってくれました。そして、もちろん、私たちが前回の旅でさまざまなまちへ道具を届けに行きましたが、届けた物資が使われて歓迎されたというのは、このまちでだけ、この場面だけでした。毎日毎日、どこに作業をしに行っても、漁協の人や地域の人たちと一緒になりました。それでも、 私たちは十人前後しかおらず、何ヘクタールにも及ぶ広大な場所に散らばって作業するというときもありました。 明らかに、牡鹿半島にはボランティアが足りていません。

今回の旅のあいだ、キャンプから20分以上歩いり、移動したりする必要はなく、石巻市を抜けて小渕浜の街に入る途中で最後の物資調達をすることも出来ました。これは、前回の旅で築いてきた下地が功を奏しているということであり、事実、私たちの仕事が特別な物であり、この地域で作業をするのに理想的な方法だということです。
私は、今後も、地域の人々及び、救援活動のリーダーシップをとる人々の両方と連絡を取り続け、被災地に行きたい人が無事にたどり着けるようにお手伝いしたり、東北へ支援活動をしに行く人が現地でより効果的に働けるための情報交換を続けていきたいと思っております。

私たちが、湾の南側にある残骸のそばに立っていると、1人のおじいさんがこんな話をしてくれました。そのおじいさんが言うには、その残骸はもとはおじいさんの家で、何十年も前、おじいさんが子供の時に、その家はチリ地震の津波で大きな被害を受けたということです。大人になり、家が買えるようになったとき、二度とこのような目に会わないようにと、前の家を売って、海岸からはなれた、高台に家を買ったそうです。(そう言いながら、おじいさんは、遠くの高台を身振りで示しました。)それなのに、何の役にも立たなかったようだ、こんなに高い津波が押し寄せるとは考えもしなかったと。 その高台を見上げて、いかに高い津波が押し寄せたかを考えるだに、愕然とします。実際に、まさにその高台は、湾から私たちの宿営場所まで内陸に向かって15分歩いたところにありますが、本当にショックを受けます。なぜなら、私たちは、湾から相当はなれたところにあるコンビニエンスストアの近くに車を駐めているのですが、海抜にして2〜30m、海から1㎞もあるその場所が、波で流されたというのですから! 高度にして、10階建てのビルを超えるのです!

Next:
 次なる使命
洗濯機と電子レンジを被災地に送るプロジェクトを始めます!がんばります。

Thanks go to
 ご協力いただいた方々。
Kankaku-Do
の田中氏、旅行作家のChris Rowthorne氏、フロリダ州Morikami MuseumVeljko Dujin氏の多大なご支援に感謝します。おかげで、今度も被災地に配る道具購入や、11人のボランティアの移動の費用をまかなうことができました。ボランティアのメンバーも、燃料代や高速料金を出してくれました。ありがとう。
京都大學に、水10ケースをご寄付いただきありがとうございました。そのうち、2ケースを私たち自身で使い、残りの8ケースを被災者の方々に配りました。
さくら旅館のMike Barr氏にキャンピングマットと燃料入りのチェーンソーを貸していただき、感謝します。湾から木材を引き上げる際に、チェーンソーは大変役に立ちました。
そしてもちろん、残業してウェブページの仕事続けてくれ、さらにテントの1つを提供してくれたAngus氏に改めて感謝します。メンバーのための滋養のある食事を支援して下さったJudy Tabohashi 氏に、感謝します。匿名で、テント1張り、椅子、テーブルを寄付して下さった方がおられます。本当にありがとうございました。Brett Peary氏には、私たちのチームの為にネットワークツールを構築していただき、Hiroko Kawano氏にはこのブログをウェブサイトに載せるために日本語に翻訳していただいています。ありがとうございます。
そして、ずっと辛抱をしてくれて、私がこの文章を書いている今も、今夜のミーティングのためにコーヒーを点ててくれいる妻に、感謝します